幸福と不幸の真ん中にあるもの

人生には波があります。
プラスでもなくマイナスでもない、ゼロの状態です。
幸福と不幸の真ん中にあるのは、普段の当り前ののさりの暮らしです。
のさりとは、良いことばかりではなく、悪いことも天の授かりものと受け止めることです。

そこには、人の命、人生は、天から与えられたものという考えがあります。
だから、良いことものさり、悪いことものさりなのですが、それは人生劇場の一場面であり、人生という舞台を天から自分に与えられていることがのさりです。
のさりとは、自分が生かされて生きていることに対する感謝です。

人は、人生劇場の主人公です。
主人公であるだけでなく、自分で脚本も書くことができます。
しかし、舞台と登場人物は天から与えられます。
この世に生を受けた時、与えられた時代と場所は、のさりです。
2人の父母ものさりです。兄弟姉妹ものさりですし、親戚ものさりです。
「大いなる存在」が、「さあ、お前にはこの舞台を用意した、どう生きるかは、お前の自由だ、どんな生き方をするか、みせてくれ」と、人生劇場の主人公が織りなすドラマを天から見守っている感じがします。

どうして、そんな気がするかといえば、どう考えても人生は物語だと思うからです。
シェークスピアが、「人生は舞台である」といいましたが、みんな自然にその舞台で役を演じているのだと思います。
子供の頃は、父母を相手に子供の役を演じますが、友達ができたら友達の役、恋人ができれば恋人の役、結婚して夫婦となれば、それぞれの役を演じます。そして子供ができて、親の役、孫ができれば祖父母の役を無意識に演じています。
どんな心ももってその役を演じているかは、人によって違いますが、自分では気づかないうちに、私たちはその役を演じています。

人生は、天から与えられた舞台で繰り広げられるドラマです。
幸福と不幸の真ん中にあるのは、のさりの人生です。
これは、決してあきらめではなく、どんなことも前向きに受け止めて生きていく姿勢です。
テレビドラマ『水戸黄門』の主題歌「ああ、人生に泪あり」の歌詞のなかに、
「人生、楽ありゃ、苦もあるさ」
とありますが、楽があるから苦があるし、苦があるから楽があるワンセットが人生ということです。
楽ばかりの人生はないし、苦ばかりの人生はない、楽と苦は表裏一体で、光と影の関係です。
そう思うと、人生を生きるのは、楽と苦をどちらも受け入れてのさりです。

この世に生かして下さった「大いなる存在」に対して感謝し、人として喜怒哀楽の人生劇場を体験できることに感謝するのが、のさりですね。