自由自在の心になる

人の心は、動物とは違い、自由自在に思うまま、思うとおりに生きることができます。
自由自在に生きれるということは、どれほど幸せでしょうか?
伸び伸びと楽しく喜びに満たされて生きる幸せです。

しかし、実際には自由自在に生きていない人が多いのです。
それは、本来自由であるはずの心が不自由になっている。
心がどんよりとして、不安、焦り、怒り、ストレスなどを抱えている。
だから、心が重たくて、自由になりません。

その一番の原因は、囚われの心です。
「囚」という漢字は、人が四方を壁に塞がれて、自由に動けない姿を現しています。
人は、何かに心が囚われると、自由が失われます。

例えば、ある人の言動に常に腹が立つ。
その人がそばにいるだけで、ストレスがたまる。
何もしてない、何も言っていないのに、気にかかる。
それが囚われの心です。
囚われさえなくしたら、心は自由自在に軽く楽しくなるのに、それができない。
これは、辛いことです。
一日、二日ならいいけど、それが何か月、何年、時には何十年も続く人がいます。
その間、その人の心は自由自在さを失い、常にその人を気にかけて、とても不自由です。

頭では分かっているけど、どうしようもない…
相手を変えようとしても、決して変わらない。
じゃあ、自分を変えたらいい、それもわかるけど、どうしたらいいのか分からない。
そんな思いを悶々と抱きながら暮らすのは苦しいです。

人は、心を変えようとおもっても変わらないのです。
なぜなら、心は空気や水と同じで、常に流動的で流れているからです。
だから、一時的には変わっても、それを維持するのは難しい。

しかし、それを変える秘訣があります。
それは、たった1つの行動をすることです。
心は変えるのが難しいけど、行動ならいますぐ実行できます。

では、その1つの行動とは何か?
それは、だれも知らないところで、人のためになる行動を1つやったらいい。
特に、その場所を美しくする掃除、清掃が一番いいです。
例えば、公衆便所や、公園に行って、その場所が汚れていたら清掃をする。

大切なことは、絶対に人に見られないようにすることです。
なぜ見られないようにするのかといえば、見られるという意識が囚われになるからです。
だから、人に分からず、天の神様だけに分かるように、良いことを人のためにする。
わずか、1分のゴミ拾いでもいい。
やってみてください。
心の汚れがスーッととれて、楽になりますから。
なぜだか知らないけど、人知れず人のためになることをした時、
人の心から囚われの心が消えて、自由自在の心になります。

これをやれば、どんな人もストレスは消え、自由自在の楽しい心になれます。
ともかく、やってみてください。