私たちの心は、日常の雑事に追われていると、濁ってしまいます。
濁る原因は、小さな不平、不満、ストレスです。
心は、もともと清水のように美しく澄み切っています。
しかし、ストレスがたまると泥水のように濁ってしまいます。
澄んだ心で世の中を見ると、心が喜び勇みます。
幼子が、毎日屈託のない笑顔で、楽しそうに過ごしてるように
何を見ても、何を聞いても、何をしても嬉しいのです。
小さな虫をじっと眺めては喜び
美しい花を見ては喜び
野山を駆け回っては喜んでいます
大人になると当たり前の光景も、子供にとっては新鮮です。
この世の中は、実によくできています。
好奇心をもって知れば知るほど深くて素晴らしい世界です。
例えば菊の花ですが
あの美しい色はだれがつけたのでしょうか?
あの美しい形はだれが作ったのでしょうか?
菊だけではなく、地上の花にはそれぞれに美しい色と形があります。
見ているだけで癒され、心は澄みわたってきます。
花の命の陰にある天然自然の働きに驚きます。
花だけでなく、動物の命も、その陰に天然自然の働きがあります。
人は、この世に生きようと思っても生きられない。
自分の命も、天然自然の陰の働きでここに存在しています。
万物の命の陰に存在している天然自然の働きを感じると感謝以外ありません。
「お陰様で有難うございます」
という感謝の思いは、大いなる存在の働き対する感謝の言葉です。
不平不満やストレスを感じる時、人は大いなる存在の働きを忘れています。
自分は生きているのではなく生かされていることを忘れています。
しかし、例えば大病や大きな事故に遭って、命の危険を感じた時、
小さな不満は吹っ飛び、生かされている奇跡に感謝し、心は澄み渡ります。
大切なことは、一大事の時に気づくより普段から感じていることです。
常に「お陰様で有難うございます」とこの世に生かされていることに感謝する。
すると、すぐに心は澄み渡り、何を見ても何を聞いても何をしても有り難く思える。
あの幼い時の純粋な喜びの心がいくつになっても続きます。
「成人」とは、人に成ると書きますが、正しくは人の心に成るということです。
幼子の純粋な心をもって、様々な経験、知恵、技能を習得しながら成長して人の心になることです。
自分さえよければいい、今だけ良ければいいという餓鬼の心で大人になっても人にはなれません。
生かされている命に感謝し、人が喜ぶために自分の知恵や力を尽くす。
人の喜ぶ顔を見て幸せを感じる人に成長することが本当の人生です。
心が濁った時ほど「お陰様で有難うございます」と念仏のように唱える。
すると、その言葉によって心が浄化され、本来の自分の心に戻っていきます。
日常生活では、どんな美しい心も濁るような出来事が起きます。
心を濁らせないことは至難の業です。
だから、心が濁って大丈夫です。
そのあとで「お陰様で有難うございます」と唱えて、心を浄化するのです。
「お陰様で有難うございます」は、心が清まる言葉です。