種は、土中に蒔くから根が張り、芽が出て、花が咲きます。
種を、地上に置いても、根ははりません。
目に見えない土中に蒔くから芽が出てきます。
実は、これは運命の原理と深く関わっている天然自然の理です。
人の思いは種です。
将来、こうなりたいという思いがあると、それは種になります。
有名人は、自分の夢を描いて、それを実現した自叙伝を語ります。
もし、自分の夢が存在していなかったら、決して思い通りにはなりません。
実は、どんな人も思いも、時間が経つと実現するように天然自然の理は働きます。
それは、意識していようと、無意識だろうと、思っている通りの人生が現れます。
有名人や成功者と言われる人たちは、意識して実現する努力をします。
しかし、普通の人は、無意識のうちに自分の思いが実現しています。
例えば、あなたが「わたしは幸せな人間だ」と無意識に思っているとします。
すると、知らず知らずのうちに幸せな出来事が起きて、心が喜びに満たされます。
しかし、逆に「わたしほど不幸な人間はいない」と無意識に思っているとします。
すると、なぜだか不幸な出来事が起きて、心が悲しみで覆われてしまいます。
心理学では、これを自分が意識していることが気にかかるのでそう思えるといいます。
例えば、安売りのセールを気にする人は、特売日やキャンペーンなどすぐに目に留まります。
結婚を意識している人は、周りにあるウエディング情報がすぐに目に飛び込んできます。
確かに、私たちは意識している情報が気にかかります。
しかし、ここでいう思っている通りの人生が実現する法則は、もっと深いお話です。
それは、だれも知らないところでやった行動こそが、運命を作るというものです。
人は、周囲の目を気にします。
良いことは、人の目につくところで行おうとします。
逆に悪いことは、人の目につかないところで行おうとします。
自分だけしか知らないから、多少悪いことをしても大丈夫という気持ちがあります
ところが、天然自然の理では、だれも知らないところでやった行動を実現させてしまうのです。
ちょうど、人の目にふれない土中に種を蒔いたら、知らないうちに花が咲くようにです。
逆に、人の目にさらされた地上に種を蒔いても、花は咲きません。
これは、とても強烈な法則で、人の運命が作られている正体はこれだといっても過言ではありません。
人の知らないところでしたことは、だれも分かりません。
しかし、それは一時的なことで、長い時間が経つと、それが誰の目にも見える形となって現れます。
「お陰様の働き」とは、実はここにもあるのです。
良いことも悪いことも、「お陰の働き」が自分の運命を作る。
どんな人の人生もこの法則からは逃れられません。
だから、人の知らないところほど、良い種を蒔いておく。
逆に、人が見ているところでは、失敗や過ちをさらけ出して、公然とお詫びする。
すると、悪い種は枯れて、良い種はどんどん伸びます。
人生を長いスパンで見ると、その人が陰でどんなことをしたかが分かってきます。
陰で蒔いた種が、結局自分に帰ってきます。
人生には「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という自己責任の原則が存在しています。
それは、人から強要されるものではなく、自然にそうなるのです。
だからこそ、人の知らないところで、良い種を蒔き続けるのです。
「陰徳行」とは、運命を切り替えるために意図して、陰で行う修行です。
人の運命は「お陰様のお働き」で作られることを知れば、人の目を意識せず、ただ「お陰様の働き」を意識して、陰で良い種を蒔くことだけに専念したらよろしいです。
陰徳を積んだ人には、だれもかないません。